Diary 2017. 8
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8月1日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第213弾! 2017年8月1日(火)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第213弾! 2017年8月1日(火)たかやん

川遊びのお知らせ
今度の日曜日、8月6日に「第19回わいわい川遊び」があります。多くの方の参加をお待ちしています。詳しくはwww.takayan-world.com/cheeringparty/index.html
で見て下さいね。
連絡先 たかやん 090-6497-5737

夏休み12日目
(ここはどこだ?)(俺たちはどこにいて、どこに向かおうとしているんだ)(豪雨で前が見えないぞ・・)ナビで行き先を探そうとする。ナビは左折を支持しているのだが・・行こうとすると、右方向からトラックが猛スピードで突っ込んでくる。そして、次の瞬間!!
警報のようなものが鳴って・・・目が覚めたのだった。時計は4時44分を指していた。

8月
いつの間にか7月が終わり、8月になった。7月の領収書をまとめ、来年の確定申告に備えなければ・・・・毎月やっていると、後が楽になるのだ。人生、コツコツやるのが一番である。まあ、時々瞬間的にバカ力を出さないと、詰まらないけれどねえ・・・
第七歩 「共通行動?」 旧ホームページから
自分の事を「先生はね」と一人称で呼んではいけない。中には「校長先生はこう思います!」とか恥ずかし気もなくいう校長がいるが、あれはかなり恥ずかしい。「先生は…」と自分で言う人はそう呼んで欲しいのだ。「先生!」と呼んで欲しいからそういうのだ。僕は職員室でも「タカヤン!」と呼ばれていた。すると怒る人がいるのだ。職員室でそういう呼び方をするな!と怒る訳である。大きなお世話である。教師はあだ名で呼ばれて一人前なのだ。「職員室では、生徒は後ろのドアから入る事。」と決めた学校があった。前には校長教頭、教務主任がいるというのが理由である。勘違いにも程があるぜ。
 生徒と共通の言葉を持ち続けた校長は「いつでも校長室に遊びにきてね!」と子供達に伝える。一方で、「こっちのドアから生徒は入ってはいけない!」この差は大きい。自分が偉いと思うような管理職は学校には必要無いのだ。学校に必要なのは子供達の言葉を話せる先生である。
 今の学校には「取り締まり系」の先生が多すぎる。校則を取り締まることなど素人でも出来るということが分かっていないのだ。「共通理解」「共通行動」それが大事だという学校があった。みんなで同じことをする事が大切なのだ、という訳である。一見もっともだが、実はそのことほど危険な事はない。自分が生徒であるとしよう。朝から友達の事で悩んでいる。そういう時に会う先生みんなから「お前、名札がついてないな!」と言われたらどう思うのだ。嫌いな先生ならまだいい。好きな先生からも「お前、名札がついてないな!」と言われたら、子どもは学校に来たくなくなるだろう。でも、自分の好きな先生が「おはよう!どうした?元気がないぞ!何かあったか?」と笑顔で聞いてくれたら、子供達はどんなに嬉しいだろう。プロは子供達の目を見て言葉を選ばなくてはいけないのだ。
 今、小学校でも中学校でも「朝の挨拶運動」なるものをしている学校がある。校長やPTAのお母さん達が朝、校門に立って「おはようございます!」というあの運動である。選挙運動じゃああるまいし、いかにも不自然なことなのに、それが子ども達を変えると信じている人達がいる。自分が生徒の気持ちになれない人達である。要するにプロではない訳だ。挙げ句の果てに服装のチェックをする人までいるからどうしようもない。「朝の挨拶運動」は自己満足以外のなにものでもないのだ。「校則」では人間は教育できない。中学校の校則などは世の中にでれば全く通用しないものなのだから…・。子供達に教えなくてはいけないのは「きまり」ではなくて「マナー」である。これは日本中どこへ行っても通用する。(世界は広いから通用するとは限らないが…・。)「校則」に目くじら立てる先生が、「いじめ」を見逃すのだ。子供達の「目」を見ていないからそういうことになるのだ。プロはいつでも子供達の目をみていなくてはいけない。「共通行動」というなら、そういうことに「共通行動」を取って欲しい。
 プロの教師は自分のことを「先生」と呼んではいけない。「私」や「僕」や「俺」という日本語があるではないか。「俺」が悪い言葉などと言ってはいけない。地方へ行ば「おら」は男女共通の立派な一人称である。子供たちから「あだ名」で呼ばれるようになろう。そしてそのあだ名を好きになろう。好きになるようなあだ名を付けてもらおう。
*相変わらず、朝の挨拶運動なるものをしている学校が多い。挨拶は普段から当たり前にやるものだ。そのことを大人が教えなくっちゃ・・・挨拶をしても平気で「無視」するような大人が、「挨拶運動」をやったって、意味がないのである。ヘビースモーカーが「禁煙週間です!」と叫ぶようなものだ。そんなことのために、仕事を犠牲にしていい訳がない。あれだけはマジでやめた方がいい。大人は満足できるかも知れないが、子どもたちにプラスになることは何一つないのだから・・・
絶対に打ってはいけない!子宮頸がんワクチン1338 
打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。

今日の写真1.2.3
長久保先生のレッスンを受ける空ママです。こうして写真で見ると、僕のフォアーハンドよりも綺麗なフォームなんです。おかしいなあ・・・どうして、俺は綺麗なフォームで打てないんだろう・・・

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになれますように!

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8月2日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第214弾! 2017年8月2日(水)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第214弾! 2017年8月2日(水)たかやん

川遊びのお知らせ
今度の日曜日、8月6日に「第19回わいわい川遊び」があります。多くの方の参加をお待ちしています。詳しくはwww.takayan-world.com/cheeringparty/index.html
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夏休み13日目
二中の3年1組で久しぶりに授業をした。二中に来るのは何年振りだろう。僕の21年間の最後の学校だ。最初の職員会議でS教頭に逆らった日が懐かしい・・・あの時の校長はE先生。この間、陸上の大会で久しぶりに話せたなあ・・・陸上の世界では物凄い人だったんだなあ・・。ちょっと感動した自分がいた。色々あったけど、話せたことが嬉しい。それが理由がどうかは分からないけれど、二中から声がかかって授業をやることになった。しかも、教科は英語。「英語だけで授業をしてください」「日本語ゼロでお願いします。」と言われて・・・二中の子どもたちが英語だけの授業についてくることに驚いた。みんなペラペラなのだ!(何かがおかしい・・・・)目が覚めると、もう基礎英語が流れる時間だった。

母さん
久しぶりに母さんのところへ。「本を読みたい」というので、7冊ほど抱えて持って行った。車椅子になっても、頭はしっかりしている母さん。まだまだ元気でいて欲しい!そう思った。

100均
サニーライフの帰りに100均に寄った。鋏をどうやって100円で作るんだろう・・・そんなことを思いながら、鋏を2つ買ったのだった。

市役所
秘書広報課、教育委員会、緑と公園課、議会事務局・・・忙しく回った。出来上がった川遊びのパンフレットを各課に渡し、公園のカギを借りて・・・・

夏期講習7日目
まじめにやれ   山口二郎 (東京新聞 本音のコラムから・・)
北朝鮮情勢について、危機の深刻化を回避する為に日本政府も最大の努力を払って欲しい。しかし、安倍政権は、森友学園疑惑や官僚の暴言など、国内の厄介な問題を覆い隠す為に北朝鮮危機を利用している。
 そして、テレビも連日北の脅威をこれでもかと伝えている。この政権が危機に真面目に取り組んでいるとは思えない。
 政府は21日に、日本がミサイル攻撃を受けたときの「避難」の方法を内閣官房のホームページに掲載した。曰く、警報が発令されたら頑丈な建物に入り、窓から離れろとのこと。これで国民の安全を確保した積もりだろうか。
 このニュースを見て、桐生悠々の「関東防空大演習を嗤う」という批評を想起したのは私だけではあるまい。悠々は、1936年、当時の軍部が仮想敵国の空襲を想定した演習を行ったことについて、これは軍人の自己満足でしかないと喝破した。そして、現代の戦争では「空撃したものの勝ちであり、空撃されたものの敗である」と書いた。
 ミサイルの時代にこの指摘は更に当てはまる。大都市と原発にミサイルを撃ち込まれたら日本は壊滅する。避難しても無駄である。ミサイルを撃たせないことが政府の任務である。しかし、危機を煽るばかりの安倍政権は、戦争の現実認識を欠いていた戦前の軍部から進歩していない。(法政大学教授)
この山口二郎という人は、北大の教授だった人で、昔から安倍政権を痛烈に批判していた人だ。法政大学に移ってからもその辛口は変わっていない。
僕から君たちにはこの言葉を贈ろう。
There never was a good war or bad peace.
どういう意味か分かるかな?英語力と歴史力が身につく言葉だ。
*夏期講習が楽しい。子どもたちが変化しているのを感じるからだ。できないことができるようになる・・・それほど嬉しいことはない。それを体感できる僕は幸せである。

第八歩 「部活」 旧ホームページから
部活動は面白い。子供達と体も心も近づくチャンスが溢れている。僕は最初の5年間は軟式テニスをやった。校長に「硬式テニスをやらせてください。」と直訴したが「軟式をやっている子達の気持ちはどうする?」と切り返さされて何も言えなかった。軟式も中学の時にやっていたから、教えるのが下手ではなかったが、本当をいうと軟式には魅力を感じていなかったのだ。そういう訳でサッカー部の副顧問もやった。サッカーが大好きだったからだ。毎日昼休みにクラスの子供達と校庭でサッカーをやっていた。放課後テニスコートに行く前にちょっとサッカー部の練習に参加し、そのまま帰ってしまう日が続いたりした。子供達は焦ったらしい。このままでは顧問をサッカー部に取られてしまう…・彼らはある作戦を立てた。それは軟式テニス部を硬式テニス部にかえてしまおうという作戦だった。そうすれば顧問はきっと毎日来てくれるだろう、という訳だ。そしてその作戦は当たった。僕はその日から二度とサッカーのスパイクを履かなかったのだ。その当時の子供達にはそういう考える力があった。というか、そういう無謀なことを許すだけのゆとりが学校にあったのである。
僕はテニスにはまった。大学時代に遣り残した何かを子供達にぶつけた。インカレに行けなかった鬱憤を子供達で晴らそうとしたのかも知れない。僕が顧問をしたのは「男子テニス部」だった。別に軟式とか硬式とかはなかった。そこが彼らのねらいだったようだ。そして僕はその「男子テニス部」に女の子のマネージャーを8人ばっかり入部させた。自分のクラスから運動神経のいい子を選んで「テニスやらないか?」と誘ったのである。彼女たちは「硬式テニス」という響きに誘われてテニスコートに登場した。(そのコートは1面で、ある時は80人に膨れ上がったのである。)男子の中の1年生の女の子達は恐いもの知らずだった。男子の関東大会の応援に池袋の立教中学に行った時も、西武線の中で半袖、ブルマーで騒いでいた。それで随分笑われたが、彼女たちが1年後に全国大会に出場するなど、僕以外は誰も思っていなかっただろう。僕の「テニス部」はこうしてスタートしたのだった。
 テニス部の練習はきつかった。石神井高校時代のトレーニングを中学生にやらせたのだからめちゃくちゃだった。勿論僕も全て一緒にやった。不思議なもので、顧問が一緒にやると子供達は物凄いスピードでついてくるようになるのだ。彼女たちは走って走って走り回った。陸上部よりも走ったから、陸上部よりも速かった。そしてあっという間に全国大会に出てしまった。彼女たちは勝てなかったが、彼女たちの頑張りが後輩達に自信を与えた。男子が全国大会で2位になったのだ。硬式テニス部になった時に「日本一になろう!」と言った言葉が夢で無くなる日が来るような気がした。その学校ではその夢は実現しなかったが、次の学校(六中)で子供達はその夢をかなえてくれた。そう「日本一」になったのだ。それも二度も…勿論僕はテニスにますますのめり込んだ。そしてたくさんのタイトルを取るのだが、失ったものも大きかった。「家庭崩壊」である。僕は部活をやりすぎて、家族を失った。部活動は楽しい、だがほどほどにしなくてはいけない。
*部活に燃えてくれる先生達には感謝している。だけど、僕のような失敗はして欲しくない。
それだけは言っておきたい。
この写真は五中の二年目のテニス部。当時は勿論軟式だった。この小さな子達に凄い知恵とエネルギーがあることを、当時はまだ知らなかった。
六中で関東優勝、全国3位の時のメンバー。前から3番目が当時2年生の長男、亮。心臓の病気で運動を禁じられていたが、1年生の時はメンバーに恵まれ全国優勝、2年の時は3位になれた。3年生の時はキャプテンになったが、僕が他の学校に異動になり、県大会で敗退した。心臓に病気があるので、あと1年一緒にいさせて欲しい・・・そう希望したが、まったく相手にされなかった。この時に、新座の教育委員会の冷たさを実感したのだった。
*僕は当時2年間、1日も休まず学校に行った。誰かが2か月休むとその代わりに、できるだけの授業もやった。でも、市教委はそのことを何も評価してくれなかった。僕にとって亮の命程大切なものはなかったのに・・・。こうして、学校をやめる自分が作られていったのだ・・・。

内閣改造
野田聖子に魅力を感じない訳じゃないけれど・・・安倍晋三がトップでいる限りは何も変わらない。日本の未来の為に、自民党政権は終わらせなければならない。人相の悪い総理大臣、官房長官、幹事長・・・その3人がそのままじゃあ・・・何も変わらないのと一緒。「経世済民」を知らない自民党の議員たちは、国会議員は勿論、地方議員も一度自分の顔を鏡でじっくりと見た方がいい。
絶対に打ってはいけない!子宮頸がんワクチン1339 
打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。

今日の写真1.2.3
今朝の母さんです。SNOWの写真を見せると、大笑いするので毎回撮りたくなる息子です。母さんの笑顔と子どもたちの笑顔が僕の生きる力の源なのです。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになれますように!

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8月3日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第215弾! 2017年8月3日(木)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第215弾! 2017年8月3日(木)たかやん

川遊びのお知らせ
今度の日曜日、8月6日に「第19回わいわい川遊び」があります。多くの方の参加をお待ちしています。詳しくはwww.takayan-world.com/cheeringparty/index.html
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連絡先 たかやん 090-6497-5737

夏休み14日目
「カルピスが売ってないの」「そんなスーパーあるの?」「だって無いんだもん」「しょうがないなあ・・・どこかで探してくるよ」「うん」僕は彼女が飲みたいと言っていたカルピスを探しに遠くのスーパーへ・・・(何で俺がカルピスを探しているんだ?)そこで目が覚めた。時計を見ると5時だった。

準備
今日は夏期講習と小中学生の塾がある日。午前中一杯、その準備に追われた。その時、その時の子どもたちに合わせて考えるので、何日も前からの準備は出来ないのだ。こちらのカリキュラムに子どもたちを合わせるのは簡単。学校と同じ事をやればいい。でも、それぞれが違う問題点を抱えている子どもたちに、そんな教え方をしていたら、伸びるものも伸びない訳で・・・その日の準備になるのである。

100均
サニーライフの帰りに100均に寄った。鋏をどうやって100円で作るんだろう・・・そんなことを思いながら、鋏を2つ買ったのだった。

夏期講習8日目
思い合いの「和」めざす  (東京新聞 8月3日から)
「和をもって貴しとなす」。聖徳太子が制定したとされる日本で最初の憲法「十七条憲法」の第一条はこう始まる。国民一人一人が争いなく幸せに暮らす。それは素晴らしい世界だろう。古代の人々は富でも権力でもなく、お互いが思い合う「和」の実現を目指した。
 「和」を大切にする文化は、今の日本にも残っている。このような考え方は未来にも引き継いでいくべきだ。
 しかし、和を乱し、空気を読まなければ仲間はずれにされ、白い目で見られる今の状況は「和」と言えるだろうか。その為に私たちは無言になってしまっていないだろうか。悲しいことに、いじめやパワハラなど、この世には差別が存在し、それは決して少なくはない。
「KY(空気読めない)」という言葉も使われ、形だけの和を目指すものが人を傷つけることさえある。
 空気を読むことは「和」を重んじることにはならない。孤立することが怖いから、和を乱してはいけないからと沈黙しては何も変わらない。「和」を大切にすることは、決して自分の意見を押さえ込むことではない。自分にとって、相手にとってもっとも良い方法は何かを考え、議論しながらより良い結論にを導くことが「和」だ。
 本当の「和」の実現した社会とは、皆が自分の考えを躊躇いなく口にし、意見の違う人も認めるものであるべきではないか。私たちは時に、「和」という名目で行われる差別に身を任せてしまう。それに立ち向かうことは、きっと容易ではない。それでも、本当の「和」の実現を目指し、小さな一歩から踏み出していきたい。(熊谷 咲星)
*この子は14歳。みんなと同じ中学生だ。本当の「和」の実現を目指し、小さな一歩を踏み出したい・・・こんな文章、自分が14歳の時には思いつきもしなかっただろう。でもね、みんなも練習をすれば書けるようになるんだなあ・・・何事もトレーニングなのです。

第九歩 「空き時間」 旧ホームページから
空き時間というのはなかなかいいものだ。理科の場合は実験準備というやつがあるが、一度準備してしまえば、あとはみな同じな訳だから、その時間はまあ自由ということになる。職員室でお茶を飲んで話し込むのも悪くはないし、疲れた時は冷房の効いた保健室で一休みなんていう人も中にはいる。僕は何をしていたかというと、他の授業に参加していることが多かった。一番多いのが「体育」だ。きっかけはこうだった。「高邑先生のクラスに体育嫌いの生徒が入ります。体育が嫌で学校を休みます。不登校気味です。」そういう連絡が入ったのだ。僕は嵒(甲神先生)と相談して、自分の空き時間を全て自分のクラスの体育と重ねることにした。そして1年間体育の授業を子供達と一緒に受けたのである。結果はどうだったかというと、彼は一度も学校を休まなかった。そして体育の授業も…・・。
そして僕はこの1年間で子供達と「体育」を一緒にする快感に目覚めてしまったのだ。サッカーは勿論、鉄棒も水泳もバスケットも持久走も運動能力テストもすべて子供達と一緒にやった。これが又楽しいのだ。子どもと同じような気持ちで授業を受けられるのが嬉しかった。体育の授業の後の授業のけだるい事なんかも十分に味わった。
 週に23時間とか24時間とか結構苦しい時期もあったが、18時間とか20時間くらいだと空き時間もかなりある。体育以外の授業を覗くのも面白い。学年の先生達と仲がよかったせいもあるが、予告無しに教室に入り、生徒と一緒に授業を受けるのが好きだった。ノートを持ち込んで一緒に勉強するのだ。勿論手を挙げて質問もする。休みのこどもの席に座り、反対サイドから見る授業は、自分の授業を鍛えるのにも役に立った。要するに授業の主役は子供達だということが分かったのだ。僕ら教師は子供達の気持ちを分からないで授業をしてはいけないのである。「分からない。」のは子どもが授業をちゃんと聞いていないからではなくて、自分の授業が下手糞だからだということを分かっていなくてはいけない。
それ以外の空き時間、僕はよく英会話の練習に使った。最初は英語科の先生をつかまえて、NHKのラジオ講座を一緒に暗誦してもらった。そして次にはAETをつかまえて、話込んだ。これを年間通してすると英語の力がかなりつく。そしてAETにパーティーに招待されるようになり、AETの悩みを聞くようになり、どんどん友達が増え、ますます英会話が好きになる。不思議なもので、担任や顧問が英語が好きになるとそれが子供達に影響するのである。教室やテニスコートでNHKのテキストが頻繁に見受けられるようになるのだ。AETが教室に遊びに来て、テニスコートに遊びに来て、子供達と自然に仲良くなっていく訳だ。そして子供達はもっともっとAETと英語で話したいという思いが強くなっていく…・。僕はそういう風に空き時間を過していたような気がする。勿論年休を取った先生がいる時は代わりにその教科の授業をしたり、理科の授業をしたりもした。それはその時の雰囲気なのだ。「空き時間」1週間に5時間あれば1ヶ月では20時間。1年では240時間。夏休みや冬休みがあるからそうはいかなくても、結構な時間になる。空き時間を有効に使おう。僕らは「給食」という時間で昼を拘束されている代わりに、空き時間という時間がある。
 写真は僕の親友二人。ヒロミとスティーブ。スティーブがタイへ行ったときは泣いた。今でも時々電話やメールで会話をしている。

東京新聞一面
今朝の東京新聞の一面の見出しはこうだ。
「官僚が官邸の顔色を見て仕事」「国家の破滅に近づいている」
「福田元首相 安倍政権批判」「人事関与は最大の失敗」
福田元首相は“中央官庁の公務員が、官邸の言うことを聞こうと、忖度以上のことをしようとして、すり寄る人もいる。能力のない人が偉くなっており、無茶苦茶だ」と指摘。自民党が潰れるときは、役所も一緒に潰れる。自殺行為だ”と述べた。安倍政権が設置した内閣人事局は、各省庁の幹部人事を一元管理。現在は萩生田光一官房副長官が局長を務めている。*成る程、僕と同じ事を福田さんも思っていたのか・・・そんな気持ちで今朝の朝刊を読んだ。学校でも役所でも、上を見て仕事をしてはいけないのだ。どの世界にも能力がない人に限って、上司に取り入って出世しようとする訳で・・・国家公務員の場合、萩生田光一官房副長官が局長をしている内閣人事局が「お上」ということになる。萩生田・・・最近、何度も出て来る名前だ。官房副長官だから怖いのではない。内閣人事局長だから、忖度以上のことをしてしまうのである。安倍晋三は本当に凄い仕組みを作ってしまった。恐ろしい男である。   

絶対に打ってはいけない!子宮頸がんワクチン1340 
打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。

今日の写真1.2.3
俊さんと二人で「市民と語る会」の議会報告会をした後の写真です。僕も結構忙しい方ですが、俊さんはもっと忙しい人です。本当によく動く人です。そして多くの人から頼りにされています。同じ29年生まれで、同じ東京の第3学区なので、共通の話題も多く・・・とても、まったりできるのです。それでいて、お互いに違う世界に生きていて・・・とても勉強になります。議会で「いい仲間」に出会うこともあるのですから、僕は本当に幸せです。
今日は流石にちょっと疲れました。いい夢を見て疲れをぶっ飛ばしたいところです。
*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになれますように!

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8月4日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第216弾! 2017年8月4日(金)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第216弾! 2017年8月4日(金)たかやん

川遊びのお知らせ
今度の日曜日、8月6日に「第19回わいわい川遊び」があります。多くの方の参加をお待ちしています。詳しくはwww.takayan-world.com/cheeringparty/index.html
で見て下さいね。
連絡先 たかやん 090-6497-5737

夏休み15日目
彼女の声は澄んでいて、とても綺麗だった。その歌声に合わせて僕はピアノを弾いた。そして、彼女の声に合わせて、僕も歌を歌った。仲間達が大きな拍手をしてくれ、先生達の中には涙を流している人もいた。僕らは3曲も歌った。そして、最後に僕らは手を取り合って、ハグをして・・・舞台の上でキス!(ちょっと待てよ。中学生が謝恩会の舞台でキスしていい訳・・・)「ココア!」「やっぱりお前だったか!!」今朝の4時過ぎのお話。

準備
今日も午前中は「夏期講習」の準備。それがまた楽しい。子どもたちの顔を思い浮かべながら準備をする。出来ないことを出来るようにする!それが夏期講習の目的だ!!

夏期講習9日目
副大臣の暴言  斎藤美奈子(東京新聞 本音のコラムから・・)
共謀罪と加計学園問題が気になって仕事が手につかない。そこに飛び込んできたこんなニュース。「内部告発者を処分の可能性」
 おっと、それって共謀罪の話?ではなくて、発言の主は義家弘介文部科学副大臣。文科省の文書再調査について「今回告発した人は公益通報者にあたると思うが、権利を守る意識はあるか」と質問した森ゆうこ議員に「国家公務員法(違反)になる可能性がある」と彼は答えたのだった。
 義家副大臣の答弁は迷走している。同じ文書について、先週は「私が確認していない文書は行政文書ではない」と発言。「職員の皆さんはマスコミにではなく私のところに届けていただきたい」とも述べていた。
 学校の問題に置き換えてみよう。ある学校でいじめ疑惑が発覚した。教師は当初「私が確認していないいじめはいじめではない」と突っぱねていたが、形勢が悪くなったら「生徒諸君は家族ではなく私のところに届けていただきたい」それでは届けようと立ち上がった途端、「いじめを告発した生徒は処分になる可能性があるからな」
 報復をちらつかせつつ「告発したきゃしてみろ」と促す。完全な脅しである。文科省の恐怖政治を見て、他の省庁も縮み上がったことだろう。これでは調査などできはしない。こうやって全てが握り潰されてきたのである。(文芸評論家)
*義家弘介が登場するのは二度目。嘗て「ヤンキー先生」として、生徒達から絶大な信頼を得ていた青年教師は、いつの間にか権力側の人間になってしまった。生徒達の方向を見ていた時の彼は、実にいい顔をしていたが、今ではその面影はない。権力を握ると、人間は駄目になっていく・・・その良い例である。
第十歩 「ピグマリオン」 旧ホームページから
「ピグマリオン効果」という心理学用語を知っているだろうか?教師や親やコーチが子供達と接する時に「この子は凄くいい子だ。」「物凄い才能がある。」「将来有望だ。」と本気で思うことで、子供達が本当にそういう風に変化していくということが頻繁にあるという心理学用語だ。勿論僕はそれを実践してみた。そして「ピグマリオン効果」はいたるところで力を発揮したのだ。この効果の味噌は本気でそう思い込むことである。そうでなくても本気でそう思い込むと、段々子供達はいい方向に変化していくのだ。
 例えばこういうことがあった。どうしようもない問題児がいた。小学校からの札付きのいじめっ子だ。母子家庭だったのだが、お母さんはいつも学校に呼び出せれては先生に怒られていた。2歳違いのお姉さんがいた。そこで僕はこう思い込む。(こいつはいい奴だ。元気がよくてこどもらしい子どもだ。テニスをやらせたらきっといい選手になる。)悪いことなど全て忘れる訳だ。そして職員室掃除にきたお姉ちゃんにふと漏らすのだ。「あの子はいい。実にいい目をしている。テニスやらせたらきっと凄い選手になる。」廊下で会うたびに「いいよ、君の弟は…」とお姉ちゃんの友達に聞こえるようにいう。彼がテニス部に入りたいといってきたのはそれから2週間後のことだった。そして彼は本当に凄い選手になったのだ。大事なのは何度も言うようだが、本気で思い込むこと。本気なのだから自分が漏らす言葉はいいことばかり。それがまわりまわって子どもの耳に入るという訳。それを聞いた子どもは勿論やる気満々になる。その先生を好きになる。その効果は計り知れない。
ところが、学校の先生はこの逆をしてしまうことが実に多い。「逆ピグマリオン」だ。小学校で悪いと評判になると「この子は悪い子だ。」と決めつける。そう思い込むから漏れる言葉は悪い言葉ばかり。その言葉がまわりまわって子ども自身の耳に入る。それを聞いた子供達は「あの先公の野郎…」となり、ますます悪くなっていく訳だ。
ただピグマリオンに頼っただけでは事は上手くいかない。ピグマリオンは子どもをこっちに向ける第一歩にしか過ぎない。その後に、その子供達をしっかりと見守ることが大事だ。そして今度は本当にいいところを誉めるのである。おだてるのと本気で誉めるのとは違うのだ。出来ていないのに「出来たね。」「凄いね。」といわれても子どもは嬉しくはないのだ。出来なかったことを出来るようにしてあげなくては本当に誉めることはできない。そしてその技術こそがプロのテクニックなのだ。子供達に自信をつけてあげよう。それには多少の苦しさはつきものだ。その苦しさと一緒に向き合おう。そして一緒に乗りきるのだ。その方法はたくさんあるだろう。自分だけの方法を考えるのも面白いし、人のテクニックを真似るのもいい。いいものは全て盗めばいい。本物のプロは自分のテクニックを隠しはしない。誰にでも喜んで教える。教えるけどなかなか真似ができない。そういうものなのだ。だから人に隠すような技術は本物ではない。そんなものは真似る必要もないのだ。プロになりたければ誰が本物なのか自分の目で見分けなくてはいけない。貴方の周りには必ず何人かのプロの教師がいる。子供たちに対する表情や言葉でその人はすぐに分かる。その人は温かい目と温かい言葉を持っているから・・・・
 写真の前列左から3番目が、僕が敬愛する河合隆慶先生。先生はプロ中のプロだった。僕はこの先生のお陰で、明るい人生を歩くことができたのだ。
絶対に打ってはいけない!子宮頸がんワクチン1340 
打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。

今日の写真1.2.3
10年前の母さんです。4歳の空を気遣いながら土手を歩いているのが分かります。空には本当に優しいおばあちゃんでした。そして、それから10年後の母さんの笑顔です。母の笑顔と息子(娘)の笑顔ほどいいものはありません。自分も最後の日まで、なるべく笑顔でいたいものです。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになれますように!

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8月5日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第217弾! 2017年8月5日(土)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第217弾! 2017年8月5日(土)たかやん

川遊びのお知らせ
明日、8月6日(日)に「第19回わいわい川遊び」があります。多くの方の参加をお待ちしています。詳しくはwww.takayan-world.com/cheeringparty/index.html
で見て下さいね。
連絡先 たかやん 090-6497-5737

夏休み16日目
事件は給食の時間に起こった。怒った僕が親友の久永(町野)にマヨネーズを頭からかけたのだ。ポカンとする久永。隣で僕のことを睨みつける弘道(小玉)久永と弘道は昼休みの間、何処かへ行ってしまった。5時間目が始まった。英語のさと先(佐藤先生)が「町野と小玉はどうした?」と僕に聞いたが、「知りません」と答えておいた。授業が始まって5分、先生に見つからないように廊下に出て・・・そのまま久永を探しに行く・・・1階の玄関のところで二人にバッタリ。「久永・・・悪かった!」「ごめん」と謝るが、無言の久永。僕を黙って睨む弘道。そりゃあ、そうだ頭からマヨネーズをかけられたのだから・・・そこに貴子(小杉)が飛んできて、「あんた達、何やってんの!」「さと先、怒ってるよ!!」「早く教室に戻りな!!」「おう!」「ありがとう!」僕ら4人は教室に入ろうとするが、ドアが締まっていて中に入れない・・・「あのう・・・」「入れてください」と泣きそうな久永、「開けろよ!」「開けねえとドアぶち壊すぞ!」と僕。「ダメだよ!たかやん!」とター坊。
(ん?たかやん?俺のこと、たかやんて呼んだ?)久しぶりにター坊と会えたと思ったら、夢の中だったか・・・今朝の4時過ぎのお話。

7キロ
久しぶりにジムに行った。ベンチは出来なかったが、7キロ走って、腹筋・背筋をやって、お風呂に入って・・・世界一周のトレーニングと47都道府県、徳川15代将軍、英語の教科書の暗誦をやって・・・家に戻ったのだった。

教師を目指す人へのメッセージ
第十一歩 「怒るときは本気で」
ピグマリオン効果を信じるのは簡単だが、実践するのは結構難しい。「表情」に気持ちが表れてしまうからである。本当に信じていると思い込んでも、何かあると(ああ、やっぱりこいつは駄目なのかも…)そう思うことはある。そういう時に表情に出てしまうのだ。子供達は大人の表情を読む天才だ。子ども達の目をごまかすのは簡単にはいかない。トレーニングが必要になってくる。人間、嫌なことがあった時に、嫌な顔をするのは簡単である。誰でもできる。プロは嫌なことがあった時に、上手くいかない時に、嫌な顔をしてはいけないのだ。だから表情を作る練習をしなくてはいけない。毎日鏡の前に立ち、自分の表情のチェックをするのだ。そして嫌なことがあった時のことを想像し、そしてその時にどんな顔をしたらいいか自分なりに考える訳だ。そういう意味では教師は「役者」だ。子供達の前で毎日教師を演じている訳だから・・・・。

 1組で嫌なことがあったとする。一瞬の嫌な顔はしょうがないだろう。だけどそれを引きずってはいけない。次の授業は2組だ。1組であったことは忘れてしまうことだ。ニコニコ顔で教室のドアを開けるのだ。役者が違う番組に出演していると思えばいい。1組と2組では違う顔をしていいのである。子どもが違うのだから当たり前だ。勿論成績の付け方は同じ方がいいだろう。しかし授業のやり方や表情は違ったっていいのである。子供が違うということはそういうことなのだ。だから、家で何か大変なことがあってもそれを学校に持ち込んではいけない。子供達に会う前に心を決めて、「おっはーっ!」と先に挨拶しよう。

そしてこれは大事なことだが、怒る時は本気で怒らなくてはいけない。子供たちの心に響く怒り方をしなくてはいけない。少なくても本気で怒っていると感じさせなければ怒る意味がない。だからつまらないことで怒ってはいけないのだ。「スカートが短い。」とか「髪の毛の色が茶色い。」とかいうことで本気で怒る人達が沢山いる。困ったものだ。彼らは生徒達が弱いものいじめをしたり、危険なことをした時に本気を出せなくなるのだ。スカートや髪の毛がどうしても気になるのなら、「僕はそういうの嫌いだ。」と言えばいいのだ。自分が「好きじゃない。」ことを伝えればそれでいいのだ。それを職員室に呼び出したり、ひどい時は親を呼んだりするからおかしくなるのだ。親に会いたければ自分から出かけることだ。学校に親を呼び出して上手くいったことなど見たことがない。学校に親を呼ぶということは「学校では手におえません。」と宣言しているようなものだ。「貴方の育て方が悪かったからこうなったんだ。」と言いたいのだろうが、それは違う。学校に呼び出されるのは大抵が母親だ。母親だけに責任をなすりつけてしまってはいけない。母親だけで子どもを育てている訳ではない。父親もいるし、祖父母に育てられていることもある。それぞれの家庭で違うのである。どうしても親と話をしたければ自分の方から出向いていく。「家庭訪問週間」の家庭訪問では家庭のことは分からない。15分や20分でその家庭が見えたら超人である。何か問題が起きた時にこそ、じっくりと、本当の意味での家庭訪問をするのだ。そして決して嫌な顔をしないこと。それがプロとしての基本である。そして怒る時は子供たちがひっくり返るくらいの怒り方をしよう。
*この間、陸上の大会を見に行って嬉しくなった。子どもたちが実に色とりどりの靴を履き、そして派手なTシャツを着ていたのだ。それがまた似合うのである。顧問の先生達もかなり派手な格好で・・・それがまた格好いいのである。昔、五中の代表としてテニス部が「駅伝」に出場したとき、普段の色つきのTシャツで出場したら、「非常識だ!」と体育の教師に文句を言われたことがあった。俺はテニスの練習がしたい子達を「駅伝」の大会に出す方が「非常識」だと思った。運動する子どもたちは「靴」も「服」も派手な方がいい。格好いい方がいい。アスリートだからこそ、お洒落でいい。古臭い中学校の教師達の「中学生らしさ」なんていう価値観は糞食らえ!である。そんな価値観は社会に出れば、どこでも通用しない価値観なのだから・・・。

日本の恥
安倍晋三が内閣改造をした。そして、消費税は10%にすると言った。昔から、馬鹿につける薬はないと言うが・・・本当に馬鹿なんだな。8%を5%にすると言うのなら分かる。8%を0%にするというのなら、俺は自民党を応援するかも知れない。だが、馬鹿は10%にする!と宣言した。デフレだというのに、本当に何を勉強してきたんだろう。「日本国憲法は米国に押しつけられた憲法だ」と言うし・・・一条と九条は幣原喜重郎達がマッカーサーに飲ませた条項だろう。当時の日本人の知恵が九条を生んだのだ。そんなことも知らずに(知っていて、知らないと嘘をついている可能性もあるな)改憲しようというのだから、本当に恥ずかしい。自衛隊のPRビデオを作って、最後に自分の顔を出して・・・悦に入っているのだから、国際社会に笑われて当然である。奴は本当に「日本の恥」以外の何物でも無い。

絶対に打ってはいけない!子宮頸がんワクチン1341 
打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。

今日の写真1.2.3
僕は3月が嫌いです。学校時代も今も3月は「別れの月」だからです。勿論、学校時代も今も「転校」したり「転塾」したりの別れもきついものがありますが、最後まで一緒に居てくれた子達との別れは本当に辛い。3月・・・子ども達とは今でも歌で別れるようにしています。自分の本当の気持ちが、少しだけ子どもたちに伝わるような気がするからです。この写真は2016年の3月の写真です。少し寂しそうな顔で歌っていますが・・・たかやん塾を卒業しても駅で会える子がいることは幸せなことです。さ、明日は川遊び。世界陸上を見ながら寝るとしましょう。
*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになれますように!

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8月6日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第218弾! 2017年8月6日(日)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第218弾! 2017年8月6日(日)たかやん

川遊びのお礼
本日、8月6日(日)の「第19回わいわい川遊び」無事終わりました。東久留米の新井さん、菅谷さん、小松原さん、朝霞の小林さん、藤井さん、そして新座の佐藤さん。日本工営の金田さん。本当にありがとうございました。そして、参加してくれたみなさん、ありがとうございました。
最後に川掃除仲間のみんなもありがとう。文夫、直弘、賢二、直也、栄治、宣樹、大輔ありがとう。冷や麦部隊の次郎、七風、じゃんこ、ひとみもありがとう!
来月の川掃除は9月10日(日)の予定です。

夏休み17日目
長い職員会議だった。冷房もない職員室でダラダラと下らないことを喋る校長。馬鹿臭くって聞いてられるか・・・とイヤホンを片耳に入れ、英語の勉強をする。「何やってんの!」突然、鬼の形相で現れた陽子が俺のイヤホンを引き抜く!「何すんだよ!」と大声を出したところで目が覚めた。やっぱりココアが俺の耳を舐めていた。今朝の5時過ぎのお話。

原爆の日
72年前の夏、きっと今日みたいな長閑な日に原爆は落とされたのだ。戦闘員ではなく、一般市民の上に原爆を落とすというアメリカ人の想像力のなさに鳥肌が立つ。しかも3日後には長崎でも落とすのだから・・・その残忍さに怒りがこみ上げる。しかし、もし当時の日本が「核」を保有していたら、そして米本土を空爆する力があったなら・・・「鬼畜米英」に躊躇すること無く原爆を落としていたのではないだろうか。核兵器の恐ろしさはそこにある。保有してしまったら、使ってみたくなるのが人間の心理。「非核三原則」の意味はそこにあるのだ。「被爆すること」も「被爆させること」絶対ご免である。

準備
8時半に我が家に集合ということで、その前にやるべきことをやらないといけないわけで・・・名札、ホワイトボード、麦茶・・・(おっと、麦茶パックと氷を忘れた!)机に椅子に・・・スイカに冷や麦、ビニール袋・・・使用許可証、パンフレットにノート・・・
拡声器、ホワイトボード用のペン、カメラ、携帯・・・川掃除の道具(トング、軍手、ゴミ袋、リヤカー)日焼け止め、虫スプレー・・・毎年やっていても、忘れてしまうものもあるのよねえ・・・。

8時半
川掃除仲間が集合した。東久留米からは新井さんがボートを持って来てくれて・・・僕らはスイカを冷やす部隊、氷を買いに行く舞台、本部を設置する部隊などに別れ・・・水槽を取りに行く部隊もあったねえ・・・徐々に準備が出来上がっていった。

9時半
受付開始。傷害保険に入っているので、親も子も名前を書いて貰った。

10時
川掃除スタート。小さな子が頑張ってゴミを拾ってくれたなあ・・・。お母さん達も一生懸命拾ってくれたなあ・・・

10時半
お魚博士(佐藤さん)の「魚とり教室」がはじまった。最初は上流へ行って、次にドングリ公園まで遠征しての「魚とり教室」は大成功だった。

12時
採ってきた魚の解説が始まった。お魚博士は「川底の石」の話や「外来種」の話、そして「美味しい魚」の話などをして、子どもたちに「魚の名前」を覚えてもらっていた。

12時半
「子ども食堂」が始まった。前回は「カレー」と「豚汁」だったのだが、今回は「冷や麦」注文を受けてから茹でるという方法で家族単位でテーブルに着いて貰って、麦茶を飲みながら「冷や麦」を待ってもらった。それでもキッチンは大忙しで・・・

13時半
「川遊び」が始まった。タイヤボートやカヌーに歓声を上げる子どもたち。子どもたちの笑顔を見守る大人の笑顔。どちらも見ていて幸せを感じた。

14時半過ぎ
天気が心配だったので、少し「スイカ割り」を繰り上げてやることに・・・まずは背の順に並んで貰って・・・更に低学年と高学年に分けて・・・スイカ割りが始まった。これがまた結構面白くて・・・子どもたちも大人も楽しんで、美味しいスイカを食べたのだった。

15時
採った魚達を「黒目川」に返す子どもたち。川の命に触れ、そして命を川に返す作業は子どもたちにとって貴重な体験だったと思う。

15時半
スタッフが集合して、「お疲れ様でした!」と記念撮影。「また来年もよろしくお願いします!」と解散した。

18時
反省会が始まった。「疲れたーっ!」「本当にお疲れ様!」って感じで・・・来月の川掃除の日程を決めて・・・21時前には綺麗に片付けて、それぞれが帰宅したのだった。

教師を目指す人へのメッセージ
第十二歩 「骨折」
僕は21年間の教員生活で計5回骨折した。サッカー、バスケット、水球、プロレスごっこ…子ども達と遊んでいると、本当に骨が折れる。そして生徒を骨折させたことが1回。
それは五中7期生の1年2組の教室での出来事だった。何のことで怒ったか、全く覚えていないのだが、とにかく誰か男の子に僕が腹を立てて、手に持っていたバレーボールをその子に向かってスパイクしたのだ。そのボールはその子から外れて全然関係のない女の子の方に飛んでいった。そしてそのボールをよけようとした尊子の手にボールが当たったのだ。尊子は「痛い!」と言ってうずくまり…僕は尊子を連れて病院に行った。結果は骨折。しかも尊子はテニス部で・・・暫くラケットが握れなかった訳で・・・今考えると本当にひどい話である。たまたまその子のお父さんが学校の先生で、お母さんも僕のことをいつも応援していてくれた人だったから、「しょうがないよ、たかやん。」で終わってしまったが、今ならそうはいかないだろう。仮に怒らせた当人の男の子に命中したとしても、許される事ではない。本当に自分が情けなくなる。子供は大人が考えているより弱いのである。その事を知らないと、大怪我をさせることもあるのだ。

 僕は空手を習ったことがある。教え子と一緒に道場に通った。毎日毎日殴る、よけるの連続。不思議なもので、毎日そういう練習をしていると誰かを無性に殴りたくなってくるのだ。ある日、学校で洋介がふざけて僕の顔にパンチを出した。僕は反射的にパンチをよけて、カウンターを一発。洋介は吹っ飛んでしまった。それ以来僕は空手が恐くなってやらなくなった。六中では試験の時にこういう子がいた。「たかやん、俺のこと殴ってよ。俺絶対合格したいから、ここで気合を入れて欲しいんだ。」3年の冬。直樹は自分の偏差値のはるか上の高校を受験しようとしていた。『そんなこといっても、無理だよ。一発ずつ殴るならいいけど…』僕がそういうと直樹はそれでいいという。しょうがないので一発気合を入れてやった。そうアントニオ猪木のようにパシっと…。そして直樹の番。ホイと言って顎を出すと、その子はそこをめがけてビンタ。ところが手の付け根がまともに入り、僕の首の骨がずれてしまった。子供は思ったよりもひ弱だし、思ったよりも殴るのが下手だということを知った僕であった。

五中の4期生のお話。ある時子ども達とプロレスごっこをしていた。こっちは一人で向こうは三人(多分、道哉とアキと弘基か誰か)。そういう時は気を付けなくてはいけない。僕はスピニングトーホールドなる技を掛けられ、ギブアップしたのだが…それでも子ども達は僕の足を回しつづけ…僕の股関節は外れてしまったのだった。この脱臼は痛かった。しばらく子ども達とサッカーが出来なかったから…。

いくら子供でも複数人と戦ってはいけない。子供達は思ったよりも手を抜くことが下手である。そのことを知らないと、怪我をするのである。最近の子ども達は骨がもろい。校庭に手をついただけで骨折した子がいた。病院でレントゲン写真を見せられて驚いた。老人のようなスカスカな骨なのだ。その子の家の冷蔵庫には信じられないくらいの量のソフトドリンクが入っていた。インスタントラーメンが大好きなその子はその後食生活を変える事で、骨が丈夫になっていった。家庭訪問をしたら、その家の食生活を見てこよう。何度もいうが、子供は「よい言葉とよい食事」で育っていくのである。
絶対に打ってはいけない!子宮頸がんワクチン1342 
打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。

今日の写真1
新座市東北から来て、川掃除に参加してくれた親子です。この後、魚を捕りまくり、午後はボートで遊びまくり、最後にスイカを食べて・・大満足。子どもたちの笑顔が素敵でした。

今日の写真2
ドングリ公園まで遠征し、子どもたちの前で投網を打つ佐藤さんです。ここで採れた鮎は栗原一丁目公園まで持ち帰り・・・水槽の中で元気に泳いでいました。

今日の写真3
そして、午前中最後の「お魚教室」です。今年は川の中の「石」の説明から入りました。
“「砂岩」や「チャート」は昔海の中で堆積してできた石なんだよね。さあ、どうして海の中の石が、今川の中にあるんだろう?“”川の底が泥だと、石の裏に卵を産むような魚は生きられないんだよ“お魚たちの名前を覚える前に、黒目川の石の話をする佐藤さんです。新座の理科の先生達にも来て欲しかったなあ・・・。

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8月7日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第219弾! 2017年8月7日(月)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第219弾! 2017年8月7日(月)たかやん

夏休み18日目
久しぶりの花火大会。しかも、高校生の超綺麗な彼女と二人で手を繋いで見るのだから緊張する。「ねえ、緊張している?」「え?・・・うん。少し」「手に汗かいてるよ」「え・・・あ、ごめん!」「可愛い!」「・・・・」中学生の僕は両手の汗をタオルで拭くがなかなか手の汗が止まらない・・・「いいのよ、気にしないで」「うん」彼女の手はひんやりして、そして温かかった。(え?ひんやりして、温かい・・・?)僕の右手はココアの冷たい鼻と温かいお腹をまさぐっていた。お腹を上にして、気持ちよさそうなココア。今朝の4時過ぎのお話。

仕込み
午後からの「夏期講習」に備えて2時間準備に使った。子どもたちのリクエストにはちゃんと応えないとね。決められたカリキュラムで「授業」をするのは実に「楽」だということを再認識する。しかも、教科が決まっていれば実に楽な訳で・・・。とは言っても「楽しい」「分かり易い」授業にするには努力と経験が必要な訳で・・・いつの世も「準備」「仕込み」は大切なのです。

13時
夏期講習スタート。今日は1年生がお休みで2.3年だけ・・・少数精鋭って奴だ。「長時間椅子に座っていると血流が止まって、体に良くないらしいから・・・時々立つようにするよ」「無理!」「動きたくない!」『でたな、婆さん!』

17時
夏期講習が終わり、ジムへ。ベンチを先にやって、6キロ走って、ダッシュでお風呂に入って、世界一周のトレーニングと日本列島をやって・・・戻って来たのだった。

プレゼント
本当はひとみの誕生日プレゼントを買う積もりだったのだが・・・ジムへ。塾があるのでプレゼントは買えず・・・

夏休みの宿題
20時、中学生の塾が始まった。毎年のことだが、子どもたちの夏休みの宿題の多さに驚く・・・
「終わらないよ」「どうしたらいい」『俺なら・・・』「俺なら?」『やらないかな・・』「嘘!」『発明創意工夫に全員参加なんてあり得ないだろ!』「そうなの?」『東京の学校もある?』「ないない」『だろうな・・・』「いいなあ」『みんな内申、内申って言うから、やらないといけない雰囲気になるんだよねえ・・・』「宿題も出さないと内申下がる・・・」
『生徒も教師も大変になるのに、何でこんなに出すかねえ・・・夏休みの意味が無いねえだろ!』「たかやんは出さなかったの?」『出したこともあるけど・・・自然の中で遊べ!炭酸飲料は飲むな!くらいだったかな。』「いいなあ」『だって、宿題出したら、それを見なきゃいけないんだぜ!しかも、それを評価したりしたら・・・そんな面倒くさいことやれないよ。』「うちの先生達にも言ってよ!」『みんな周りの先生達の空気を読んでるんじゃないの?』「KYは嫌だから・・・?」『テストの点数だけでつければ簡単なのにねえ・・・』「それいいなあ・・・」『そのうち、それに気づく人が出てくるよ。』「早く出てこーい!」

教師を目指す人へのメッセージ
第十三歩 「掃除」
トイレ掃除に燃えた時があった。メチャクチャ汚かった外トイレをみんなでピッカピカにした。便器の中に手を突っ込んできれいにした。何度も顔に得体の知れないものがひっかかった。トイレの前で取った写真がある。みんな笑顔一杯だ。子供達は実は掃除が好きなのだ。仕事が好きなのだ。それを好きにするか、嫌いにさせるかは教師の言動にかかっている。

「清掃点検」に燃えている学校があった。毎日美化委員がチェックしてまわる。駄目なところに×をつけていく…。体操服に着替えてないと、×をつける。掃除をしているかいないかではなくて、体操服に着替えているかどうかで判断する。教師も「なんで制服なんだーっ!」と怒鳴る。これは教育ではない。勿論ある程度学校はきれいになるだろう。だけどだ、学校をきれいにするのが目的ではないはずだ。もしそうなら、業者を雇って掃除をしてもらえばいいのだから。
 実は五中時代、僕は子供と一緒に掃除をしなかった。先輩の先生に習って、掃除を監督していた。「清掃点検」の片棒を担いでいたのだ。六中に行き、最初の赤ジャージの学年で、斎藤一男先生と向井進先生という二人の先生と同じ学年になった。二人の先生達はあたり前のように毎日子供達と一緒に掃除をしていた。子供達が遊んでいても、その二人の先生は黙々と掃除をしいていた。僕は彼らを見て、子供達と一緒に掃除をするようになった。半袖短パンで額に汗しながら一緒に雑巾がけをはじめた。すると子供達も同じように膝をついて拭き始めたのだ。今まで足で拭いていた子供達が雑巾がけの楽しさを一緒に味わい始めたのだ。子供達は雑巾がけのテクニックと楽しさを伝授されてなかっただけだった。雑巾の濯ぎ方、絞り方、姿勢そしてかけ方…やって見せればみんなできるのだ。それから教室とトイレがどんどんきれいになっていった。きれいにすればする程愛情が湧いてくる。子供達は段々教室を汚さなくなった。「物にも心がある。」ということを感じ始めたのだ。「物にも心がある。」それは僕が父から教わったことの一つだ。小さい頃からよくそう言われたものだ。「新しいものがいいものではない。」「大事に使えば使うほど、物だって嬉しいんだ。」僕はその言葉を子供達に伝えた。本物だと思ったから…。

「清掃の時はジャージに着替えること。」そういうルールをいくら作っても、子どもの心は教育できないのだ。一生懸命掃除してきれいにしても、清掃時間内に終わらなかったので×などというのは教育ではない。トイレの便器にへばりついたババ糞をきれいにするのに時間をかけて何が悪いのだ。掃除は毎日のことである。毎日のことだからチャンスは広がる。子供達に大切なことを伝えるチャンスが広がるのだ。自分の国を汚さない子供を育てたい。自分達の地球を汚さない子供達を育てたい。それには心を育てるしか方法はないのだ。「取り締まり」ではポイ捨ては無くならないのだ。子供たちに掃除をやらせたかったら、やらせないのも一つの手だ。ダラダラしていたら一人だけで掃除をするのである。楽しそうに且つ必死にやるのだ。当然帰りの学活は遅くなる。だがそれを一週間も続けていると、子供達の方から「あたし達にもやらせて!」と言って来る。『やる気の無い奴はいらない。』「やる気あるから、やらせて!」という会話になるだろう。それから掃除のテクニックを教えるのだ。箒や雑巾の使い方を子供たちは知らない。そこまでいけば教室はあっという間にきれいになっていく。
*その時の掃除の心が、黒目川の川掃除を8年続けさせたのだと思うのです。やればやるほど黒目川が好きになっている自分がいます。黒目川の川掃除がいよいよ9年目に突入します。
絶対に打ってはいけない!子宮頸がんワクチン1343 
打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。

今日の写真1
「さあ、この魚はどっちかな?」「こっちかな?」「それともこっちかな?」「こっち!」「こっち」「名前で言ってごらん!」「アユ!」「オイカワ!」「さあ、どっちだ!」

今日の写真2
「この魚の名前はなんだろう」「アブラハヤだ!」「よく分かったね。どうして分かったの?」「体の表面がヌルヌルしているから!」「そうだね!この魚がいるということは綺麗な湧き水があるということなんだよ。湧き水のない川にはいないんだ。だから、自慢出来るんだよ!」へえ、そうなんだ・・・と頷くお父さん達。学校の先生達にも聞いて欲しかったなあ・・・そんなことを思いながら、佐藤先生の青空教室を見ていました。

今日の写真3
お魚教室の最後は勿論、復習。習ったことを直ぐに思い出すやり方は学校の教室でも、青空教室でも正解。子どもたちの魚に対する記憶と気持ちをしっかりと固めてくれた授業でした。本当に素敵な授業でした。
*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになれますように!

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8月8日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第220弾! 2017年8月8日(火)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第220弾! 2017年8月8日(火)たかやん

夏休み19日目
結婚式でピアノを弾きながら歌う彼女の声は澄んでいた。彼女の歌は僕の心を揺さぶった。次は僕の番。ギターを弾きながら歌うと・・・彼女は涙を流しながら聴いてくれた。彼女の涙を見て、僕は一瞬で恋に落ちた。世の中にこんなに純粋な心を持った人はいない。僕はそう思った。僕らの国際結婚を父さんは認めてくれるだろうか・・・母さんはきっと「いいわよ」と言ってくれそうな気がするが・・・母さんに相談すると、「お父さんもきっと許してくれるわよ。空の上から・・・」母さんはそう言った。「え?お父さん・・・生きてるだろ?」「何言ってるの?もうとっくに死んだわよ」「え?死んだ?・・何それ・・・・」(父さんが死んだなんて、夢だよね!夢であってくれ!!)そこで目が覚めた。その話は本当に夢で・・・父さんが死んだことは夢ではなかった。今朝の5時前のお話。
夏期講習10日目
「慰安婦」博物館  (東京新聞 8月8日朝刊 本音のコラムから・・)              
 韓国の釜山市に日本軍「慰安婦」の博物館があると聞いて、ピースボートのスタッフとともに訪問した。雑居ビル二階「民族と女性歴史観」がそれで、旅行会社を経営していた金文淑(キムムンスク90)館長が2004年に私財を投入して設立した。
 「植民地の女性が軍需品として戦地に送られていた。人間扱いされていなかった。その歴史を未来に伝えたい」。お歳よりはるかに若く見える。小柄な金さんが流暢な日本語で説明したので驚いていると「私たちの国語は日本語でした。ハングルはあとで勉強しました」。
 1991年8月14日金学順(キムハンスク)さんが、「慰安婦」だったと名乗り出て韓国社会を驚愕させた。歴史の記憶から抹殺されていた事実だった。(今月13日に文京区センターでメモリアル・デー集会がある)
 金文淑さんは釜山市で電話の告知を受ける運動を始めた。いま展示室を飾っている金学順さんなど、「元慰安婦」たちの表情は威厳に満ちて輝いている。
 尊厳を奪われ、恥辱に満ちた体験を隠してきた女性たちは、名乗り出ることによって人間としてのプライドを取り戻したのだ。
 金文淑さんらが日本政府の不作為を認めさせた「関釜裁判」一審勝訴から、来年で20年。しかし、政府は一昨年の「日韓合意」にもみられたように賠償の責任を認めていない。
                                   鎌田 慧
*従軍慰安婦の問題は日本の世論を二分している。ある人は旧帝国陸軍の恥部だと認め、「元慰安婦」達に心を寄せる。そして、一方では「そんなものは存在しなかった」あるいは「慰安婦などはどこの国にも存在していた。日本だけが悪いのではない。」と主張している。
確かに言えることは、戦争という状態の中で、言い様のない苦しみを受けた女性達が数多くいたということ。沖縄では洞窟に隠れた帝国陸軍の軍人が泣く赤ん坊を母親に殺させた、自分が逃げるのに邪魔だと民間人を轢き殺した、という記録が残っている。沖縄の人達は米国兵にも日本兵からも殺された過去を持つのだ。そして、今もまた米軍の基地を押しつけられ、オスプレイの危険に晒されながら暮らしている。72年前の夏・・・日本本土や韓国や沖縄で君たちと同じくらいの少年少女がどんな思いで生きていたか・・・想像することは決して悪いことではない。

教師を目指す人へのメッセージ
第十四歩 「道徳の授業」
僕は道徳の授業が好きだった。宗教、哲学、心理学の本を読みまくり、感動したことを子供達に話すのが好きだった。職員室の片隅にある「道徳の本」を使って授業をしたことは一度もない。やはり自分で消化したものでないと、人に伝えるのは難しいものなのだ。
教員になったばかりの頃は、「道徳」の時間を持て余していた。何をしたらいいか分からず、「席替え」の時間に使ったり、「体育祭」や「合唱コンクール」の練習に使ったり…。だから子供達も道徳の時間は息抜きの時間くらいにしか考えていなかったと思う。

道徳というのは「人の生き方」を教える時間だと思っている。人生は楽しいだけではない。苦しい時もたくさんある。その苦しい時にどう考えて生きていけばいいのか…その答えが道徳の中にあると思う。僕は学校の道徳の教科書は使ったことがないが、自分だけの道徳の教科書はたくさん使った。ある時は父の詩集「三本の矢に」がそうだったし、ある時は星野富広の「絵と詩」がそうだった。自分の心が動かない教科書で子どもを教育することなど不可能なのだ。自分が感動して、涙が出たものが本物の教科書なのだと思う。

涙と言えば、授業で子供達が泣いた時、僕は物凄いショックを覚えた。勿論理科の授業ではない。国語の授業を受け持った時の話だ。僕の副担任の国語の先生が切迫流産で数週間学校を休んだことがあった。その時に代わりに「国語」の授業をやったのだ。丁度「詩」の授業だった。僕は父の詩集を教材にした。そして僕自身の書いた詩も…。その授業で子供達が泣いたのだ。授業で子供達が泣く…僕には想像できないことだった。理科の実験で子供達がどんなに感動しても、涙を流す子はいない。それが国語の授業ではたくさんいたのだ。

もう一つの涙は「歌」である。僕はギターを弾くのが好きで子供達の前でよく歌を歌った。子供達も一緒に歌った。毎日のように歌った。その歌をクラス解散の時に歌うのである。卒業式の時もあれば、終業式の時もある。何度も歌った歌であればあるほど、子供達は涙を流す。歌で記憶が蘇るのだ。勿論、結婚式でもそうだ。中学を卒業してから10年以上過ぎていても、心がその歌を覚えているのだ。それに比べて理科の授業を覚えている子の少ないこと。僕の授業は「詩」や「歌」に完全に負けていたのだ。

そして最後の涙は「言葉」だ。言葉の力を侮ってはいけない。良い言葉は子供達に力をつけるが、悪い言葉は子供達から自信と可能性を奪っていく。子供達は大人の言葉で自信を深め、大人の言葉で傷ついていく。プロの教師は自分の言葉に責任を持たなくてはいけない。ヤクザのような言葉を使う体育の教師をたくさん見てきたが、学校にはヤクザはいらない。子どもの可能性を奪い、傷つけるだけなら教師をしている意味がない。言葉の力は強い。良い意味でも悪い意味でも強い。プロの教師はそのことを肝に銘じていなければいけない。貴方の言葉で人一人の人生が決まってしまうことがあるのだから…。
本を読もう。子供たちに「良い言葉」という栄養を与えるために本を読もう。そして自分自身も元気になろう。「良い言葉」は大人でさえ元気にする力を持っている。どんどん本を読んで、その言葉を探そう。「本を読みなさい!」と言っても子供たちは本を読むようにはならない。本を読む楽しさを教えれば、子供たちは本を読み始めるのだ。

くたくた
夏期講習に小学生の塾に中学生の塾。流石に疲れた。でも、あっという間の8時間だったなあ・・今日は全く走れなかったけど幸せ、幸せ・・・
絶対に打ってはいけない!子宮頸がんワクチン1344 
打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。

今日の写真1
アブラハヤが多く採れるということは・・・黒目川に湧き水があって、綺麗な川だということですよねえ。

今日の写真2
手前の鮮やかな色の魚がオイカワです。そして、向こう側を泳ぐのが鮎。どちらも綺麗ですね。いい顔をしています。

今日の写真3
ボートやカヌーに乗った後、「スイカ割りの前に一度集合!」というかけ声に集合した子どもたちです。「来年のパンフレットの表紙の写真だからね!」「イエーイ!」川の中の子どもたちの笑顔を見ていると、本当に幸せな気持ちになるのです。
*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになれますように!

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8月9日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第221弾! 2017年8月9日(水)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第221弾! 2017年8月9日(水)たかやん

夏休み20日目
「出席を取るぞ!」「えーっ!」「えーっ!じゃねえ。いつも取ってるだろうが!」「何言ってんの!」「取ってないよ!」「先生、頭おかしくなったんじゃねえの?」「え?毎日、出席とってなかったっけ?」「取ってないでしょ?大体、うちのクラスに出席簿なんてないでしょ?」「え?出席簿が・・・ないわ。確かにないわ・・」「先生!」「え?」「職員室にあるかどうか見てきなよ」ダッシュで職員室に戻る。「あの渋谷先生・・・うちのクラスの出席簿はどこにあるか知ってますか?」「3組の出席簿?知らないわよ。どうしたんですか?」「ないんですよ。どこにも・・・」「一緒に探しましょうか?」「あ、いや・・・」二人で出席簿を探している内に渋谷先生の髪が僕の顔にかかった。先生の髪の匂いは、とてもいい香り・・・いや、懐かしい匂いで・・・気がつくと、僕の顔の上にココアが乗っかっていた。今朝の5時半のお話。

特別委員会
9時過ぎ、「オッパッピー!」と控え室に入って行くと大佑が仕事をしていた。「おはようございます!」と大佑。不真面目なおっちゃんと真面目な青年の朝の挨拶である。そして、僕らは一番乗りで特別委員会のある会議室に向かったのだった。
会議の中身は濃く・・・12時過ぎまで続いた。次の会議は8月30日。9月議会が開会する日にやることに決まったのだった。

郵便局
お世話になった高校と大学に少しだけ寄付をさせて貰った。こんな僕でも後輩達の役に少しでも立てたら嬉しい。大学の後輩のように、「年収の○%を寄付する」ような器の大きな男にはなれないが、被災した方達や命を繋ぐ移植に役に立てたら、本当に嬉しい。

夏期講習11日目
今日は3年生だけということで、英語のディクテーションに燃えた。僕も一緒にやってみたのだが・・・275点満点で273点。満点を取れなくてショック!!聴こえていたのに・・・
数学と英語は結構強い3年生達が「四字熟語」にはやたらと弱いことが分かり・・・大笑い。お菓子を食べながら、麦茶を飲みながらの楽しい4時間だった。

6キロ
夏期講習が終わってからジムに行った。この間から走ると鼻血がでるので、今日も6キロ歩いた。これで8月に入って19キロになった。ベンチをやって、腹筋・背筋をやって、お風呂で英語と地理のトレーニングをして・・・ヤオコーで買い物をして家に戻ったのだった。

市長の言葉
長崎市長の言葉が心に残った。日本政府に訴えます。核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。
唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。
*安倍晋三よ。被爆地だけじゃねえぞ!戦争を知らないボンボンの姿勢を理解できないのは・・・


教師を目指す人へのメッセージ
第十五歩 「給食」
給食を馬鹿にしてはいけない。何と言っても人生の三分の一の食事が給食になるのだから…。この給食を美味しく食べるか、嫌嫌食べるかでは教員人生が変わってしまうくらい影響があると思わなくてはいけない。不思議だったのは牛乳だ。僕は中学生の頃、給食室の前に残っていた古い牛乳を飲んで食中毒症状を起こして以来、牛乳は飲めない体だったのだ。高校でも大学でも、もういいだろうと思って牛乳を飲むと…ピィーピィーだった。それがどうだ、教員になった瞬間から牛乳を飲んでも平気になってしまった。学校の牛乳は薄いという噂もあるが、とにかく僕はプロ意識が牛乳を平気にさせたのだと思っている。

僕のクラスでは給食は毎回くじを引いて決めていた。中学生になると「好きな人と食べたい。」という子が多いのだが、それは許さなかった。そして給食中はとにかく子供達と話をした。同じテーブルに座った子全員と必ず話をすることにしていた。

給食が終わるとジャンケンである。片付けをジャンケンで決めるのだ。それもサンマーといって、3回負けると負けというルールで遊ぶ時間を作った。勿論自分が負けたら片付けをしなくてはいけない。僕がたまに負けると子供達は大喜びだ。これは決して平等な結果にはならない。負ける子はよく負けるし、勝つ子は良く勝つ。それでいいのである。

僕のクラスはお代わりもジャンケンだった。男の子だけとか、力の強い子だけがお代わりをするようなクラスはいただけない。いつもジャンケンということになれば、女の子も力の弱い子も十分に戦えるという訳だ。結果は平等でなくてもいいのだ。みんなが平等に戦えれば……。

給食で気をつけなければいけないのは、アレルギーである。中には痙攣を起こす子もいるから、決して無理強いして食べさせてはいけない。お弁当を持ってくることもOKなのである。みんなと同じものを食べることを強制したら、軍隊か刑務所になってしまう。みんなと同じ物が食べられることは幸せだということはできるが…。

僕らが言えるのは「好き嫌いなく食べるのがいいね。」「おいしい、おいしいって思って食べよう。」「最低20回は噛んでたべよう。」くらいである。学校で食生活の躾はできないし、してはいけない。食べ物に感謝する気持ちを育てたければ自分がそうすることだ。給食の味は栄養士によって、物凄く違うことがある。そういう時は諦めが肝心である。じたばたしても味覚というのは変化するものではない。同じ材料を使っていても味が変わるのが料理だ。自分で調味料などを用意して、何とか切り抜けることを考えよう。教室にトースターを置いておくのも良いかもしれない。パンの添加物はトーストすることでほとんどが飛ぶらしい。自分の健康は自分で守るという姿勢を子供達に見せなくてはいけないのだ。

添加物の事は子供達におりを見て話をしよう。子供は「良い言葉と良い食べ物」で育てられる権利があるのだ。子供達の健康を蝕む添加物にはいつも注意を払っていなくてはいけない。ビタミンの話も、ミネラルの話しも給食の度にすればそれは立派な教育になるのだ。

「給食」の時間は楽しい。子供たちと同じ席について、同じ目線で話ができる時間だから・・・。この時間を無駄に使ってはいけない。チャンスは毎日くる。それを逃してはいけないのだ。絶対に打ってはいけない!

子宮頸がんワクチン1345 
打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。

今日の写真1.2.3
楽しい、楽しいスイカ割りでした。そして、美味しい、美味しいスイカでした。熱中症も怪我もなく、無事に「第19回わいわい川遊び」が終わりました。みなさん、本当にありがとうございました。
*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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8月10日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第222弾! 2017年8月10日(木)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第222弾! 2017年8月10日(木)たかやん

夏休み21日目
今日は久しぶりにテニスの試合。会場は昭和の森。1回戦の相手はシード選手。(大樹先生に習ったテニスをすれば大丈夫!)そう思って試合に臨む。6-2.4-1といいペースで試合が進んで行った。後ろで見ていた大樹先生も小さな声で「いけっ!」と言ってくれた。ところが・・・気温がだんだん上がってきて・・・蒸し暑い状態に・・・息が苦しくなってきて・・・追いつかれそうに・・・それでもマッチポイントを握る。多分これは最初で最後のチャンス!必死になってボレーに飛びつき、ストップボレー!「決まれーっ!」と叫んだ自分の声で目が覚めた。汗びっしょになっていた今朝の4時過ぎ。

朝練
空は朝練へ。昨日の腹痛から復活したらしい。実は僕も昨日から酷い腹痛で、我が家のトイレは大活躍。職場が我が家でよかった!そう思った1日だった。

50本
午前中、僕が「夏期講習」の教材づくりに燃えていた時、空は「100mを50本」走っていたらしい。足が痛い筈だから、思い切りは走れなかったのだろうが・・・暑い中、それだけ走れる体力が羨ましい。小学生の時、水泳で「8キロ」泳いだ空からすると、陸の上を5キロ走ることはきつくないかも知れないが・・・いやいや、長距離の5キロ走と短距離の50本とは比較できないか・・・・暑い中、そんな空を見守ってくれる先生達に感謝である。

夏期講習12日目
旅行に行く子が多く、今日も3年生だけの夏期講習。慶応、東大寺、渋谷幕張などの数学の入試問題に燃える。問題集に「難」という字があるように、なかなかの難問だったが、それを一緒に解いていく・・・と、問題に隠された意図が見えてきて面白い。ディクテーションも一緒にやって、4時間があっという間に過ぎていった。

嫌韓、嫌中、嫌沖   鎌田 慧(東京新聞  8月1日 本音のコラムから・・)
 韓国・釜山市の南西。麗水市はその名の通り海辺の風景の美しい街である。ほぼ400年前、秀吉が挑戦を侵略した「文禄・慶長の役」(壬申倭乱)。水軍を率いて戦った李舜臣将軍の本拠地で、ここで亀甲船が建造された。
 ピースボートで訪問してはじめて「麗水・順天事件」を知った。日本の植民地から独立した3年後の1948年、米ソ対立から南北分断国家が成立した。それを認めない済州島の民衆が一斉蜂起した。(四・三事件)
 麗水に駐屯していた国防警備隊が鎮圧命令を拒否して反乱、同胞相はむ内戦となった。(麗水・順天事件)虐殺された民衆は1万人、あとの「朝鮮戦争」に繋がった。
 朝鮮半島の悲劇の遠因は日本の植民地支配にあり、敗戦直後の米ソの介入を許した。韓国は米軍支配のもとで軍事国家とされ、今ようやくまた民主化の時代を迎えた。その一方で北朝鮮の孤立化が深まっている。
 日本は400年にもわたって、甚大な被害を与えて尚、嫌韓をいう。この妄言が恥ずかしい。中国経済がくしゃみをしたら風邪をひくくせして嫌中。罰当たりだ。さらにこれまでも、苛め尽くしているのに、嫌沖縄。
安倍政治の暴力性が「土人」「シナ人」といった罵声を生み出した。弾圧に派遣された大阪府警の妄言だが、日本の教育が加害の歴史をタブーにしているのは国際的な恥だ。
*「麗水・順天事件」は僕もこのコラムを読んで初めて知った。痛ましい事件である。朝鮮半島の悲劇は南北に分断されたことだ。同じ事が日本でも起きていた可能性がある。米ソによる二重支配から救ったのが広島と長崎の「原爆」だとしたら、その地で爆死した市民こそ、日本を救った「英霊」ではないだろうか。長崎市長は昨日の記念式典で安倍首相に向かってこう訴えた。“日本政府に訴えます。核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。”彼は安倍晋三首相にこう言いたかったのだと思う。「あなたはいったい、どこの国の総理大臣なのですか!」と。
小学生
算数、英語、漢字、地理に燃えた。元気な小学生と一緒にいると2時間があっという間である。そう言えば、最近音楽をやる余裕がない。もっと音楽もやらないとね。

中学生
数学、英語、地理に燃えた2時間だった。英語の音読の練習不足が気になった。とてつもなく変な英語を書く子達は、「音読」が足りないのだと思う。世界一周のトレーニングのように、英文を何度も「音読」していれば、簡単な英文を間違えることはない筈。数学も同じ。心の中で「声に出しながら解く」ことが大事なのだと思う。

教師を目指す人へのメッセージ
第十六歩 「職員会議」
最初の年(昭和52年、五中開校時)僕は職員会議でほとんど発言できなかった。ただただ先輩達の議論を聞いていただけだった。唯一発言したのがソックスのこと。当時、新座五中では「女子のソックスは三つ折りのこと。」という、訳の分からないルールがあったのだ。いくらなんでもそれはひどいと思って、勇気を出して手を上げたのだ。『どうして、ソックスを三つ折りにしなくてはいけないのですか?』すると僕の大好きな神宮司久子がこう言ったのだ。「三折りの靴下のことをソックスというんです!」それで終わりである。僕は職員会議での初発言をこうして神バーに撃沈されてしまったのだ。

 僕のいた新座の中学校では未だに「少し許すと、どんどんだらしなくなる…限度が無くなる。」という考え方への信仰がある。例の「服装の乱れは心の乱れ」という標語を金科玉条のように唱えている人達はたくさんが存在しているのだ。そこから僕の一番嫌いな言葉「共通理解、同一行動」という言葉も生まれてきたのだと思う。彼らは生徒に同じように接しなさいと言う。その前にルールを守らせるということに対してはみんなで共通理解しましょうね、という訳だ。前にも書いたが、これが恐いのである。この考え方が教師から人間味を奪い、生徒の心をぎゅうぎゅうに縛ってしまうのである。少し考えれば当たり前のことなのだが、不思議なことに、長年学校にいると、その考え方に疑問を感じなくなる人が多くなっていくのだ。国会中継もなかなか滑稽で面白いことがあるが、職員会議をテレビで中継したら、かなりの視聴率を稼ぐのではないかと思う。少なくても「金八」よりは面白いと思う。

 一番忘れられないのは最後の学校の新座二中で新しい部活動を作ろうとしたときだ。『硬式テニス部を作りたいのですが。』「8年前の職員会議で新しい部は作らないと決めたので無理です。」『今、ここにいない人達で決めたことに、何故我々が従わなくてはいけないんですか?』「原案通りでお願いします。」『コートも予算もいりません。やりたい子達がいます。やらせてください。』「原案通りでお願いします。」今でもその時のことを思い出すと腹が立つが、要するに管理職の考え一つなのだ。職員全体の考えで物事が決まっていくのではなくて、管理職の頭の中で物事が決められていく。管理職が子供達の方を向いて能力の高い場合はいいが、子供達の方など全く見ていなくて能力が無いとアウトである。要するに結論が先に出ている訳だ。議論しても無駄だから、誰も発言しようとしないし、「原案賛成!」とゴマをする奴がかわいがられるという仕組みが出来上がっていく。反対に逆らうと、報復人事などが待っていたりするから恐ろしい。これも最近の国会と同じである。逆に自由にものが言える学校はいい。先生が伸び伸びしていれば子供達だって、伸び伸びする。当たり前のことだ。最初の職員会議でその雰囲気はつかめるはずだ。学年会議も一緒。自由にものを言えないような雰囲気の時は管理職に問題があると思っていい。そう学級会議だって同じだ。力の強いボスのいいなりになるようなクラスや学年、そして学校は御免だ。
*大分前に書いた文章だが・・・今考えると、管理職といってもみんな60前。人間が出来ていなくて当たり前。「先生」と呼ばれていい気になっていた昔の自分を思い出す。そのまま何も気が付かず「校長先生」と呼ばれて、自分が偉いと思い込めば、上からものをいうようになってしまうのは当たり前だ。ワンマンでも方向が間違ってなければ成功するかも知れないが・・・いい学校を作るには、先生方は勿論、子どもたちの考えも大切にすることじゃないのかな。そんな気がする。それにしても、僕は「職員会議」が嫌いだった。学年会議も教科部会も嫌いだった。「学級会」は好きだったけど・・・
子宮頸がんワクチン1346 
打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。

今日の写真1
8月6日に採れた魚達です。アユ、アブラハヤ、カワムツ、メダカ、カワヨシノボリ、ウキゴリ、金魚、オイカワ、ホトケドジョウ、ムサシジュズカケハゼ、カワリヌマエビ、タモロコ、ニゴイ・・・ザリガニ等々。

今日の写真2.3
採れた魚達を最後に黒目川に返します。バケツに分けて・・・子どもたちが川に「ありがとう」と言って返すのです。
*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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