吉沢真由美。あだなはヨッシー。五中では同じ学年になったことは一度もなかったので、殆ど接点がありませんでした。ヨッシーが英語の教師だということは知っていたのですが、当時の僕はそれ程「英語」に興味がなく・・・子ども達と日々遊ぶことに熱中していて、二つ年下の若い女の先生に話しかける「余裕」もなかったのです。 僕がヨッシーと仲良くなったのは六中で同じ学年になってから・・・。兎に角、英語の授業が素晴らしく、子ども達がヨッシーの「英語」に引き込まれていったのに驚きました。彼女の英語通信には僕のクラスの子達の名前もあり、僕のクラスの英語の授業の様子も手に取るように分かりました。当時の僕は授業の上手な先生の授業を「勝手に覗く」という癖があり、ヨッシーの授業も何の前触れもなく覗き、そして「参加」していました。 六中ではAETの先生達とは直ぐに友達になり、テニスを一緒にしたり、サッカーをやったり、パーティーに参加したりしていたので、ヨッシーの「英語力」に僕は憧れていました。 兎に角、発音が綺麗でペラペラなのです。そこで、僕はヨッシーに「僕の英語の先生になって」とお願いしました。ヨッシーは快諾してくれました。僕達は毎朝、ラジオ講座を聴いては、そのダイアログを二人で練習することにしたのです。僕の英語力はどんどん上がっていきました。ヨッシーは「blossom」という「学級通信」もよく書いていました。僕の「一生懸命」と対抗できるのはヨッシーの「blossom」だけでした。その中に、今でも忘れられない言葉があります。 「人は誰でも一日に12回抱きしめられる権利がある。麻薬よりハグを」12回が13回だったかも知れませんが・・・「たかやん!この言葉よくない?」『いいね。』「言葉の抱きしめでもいいんだって!」『言葉の抱きしめかあ・・・』 僕らは子ども達に「言葉による抱きしめ」を毎日、意識するようになりました。僕らの知らないところで「暴言」によって傷ついた子ども達の心を、僕らの言葉の「抱きしめ」で癒していくことの大切さに気がついたのです。五中時代から、言葉の大切さは知っていた積りでしたが、「言葉の抱きしめ」「言葉のハグ」を意識するようになって、その大切さが身に染みて分かるようになりました。そして、僕とヨッシーも毎日、お互いを言葉でハグしながら生きていたのです。 六中最後の卒業式の前日、僕のクラスの女の子が「卒業式に出ない」と言って泣きました。どうやら、当時流行りのルーズソックスを履くのなら、「卒業式には出さない」と学年主任に言われたらしいのです。担任の僕は「いいから、そのまま出てしまえ」と言ったのですが、「脱がされるから出ない」と意地になりました。すると、ヨッシーが教室に来て、「浩子ちゃんが卒業式に出ないなんて、悲しい」「一緒に卒業したい」と泣いたのです。 ヨッシーは浩子の1年生の時の担任でした。浩子は、ヨッシーのその言葉に抱きしめられて、卒業式にルーズソックスを脱いで出るという「選択」をしました。ヨッシーの為に、自分の「意地」を捨てたのだと思います。担任の僕は1組の女子殆どがそれまでルーズソックスだったので、「卒業式もそのままいけよ」ぐらいの気持ちだったのですが・・・そうして、僕のクラスは全員卒業式に参加したのです。ヨッシーの温かい言葉のお陰でした。 僕にとって、ヨッシーは「妹」そのものです。授業が上手で、お互いに認め合って、心が通じ合った、素敵な「妹」と出会えたことに感謝しています。 Kinds words can be short and easy to speak, but their echoes are truly endless. (Mother Teresa) 相手への思いやりのある言葉は、短くて口にしやすいものですが、その響きは本当にいつまでも心に残るものです。(マザー・テレサ) *浩子はヨッシーの背中を追いかけ、あの卒業式から7年後・・・中学校の英語の先生になりました。ヨッシーのように素敵な英語の先生になりました。きっと、毎日子ども達を「言葉のハグ」で優しく包んでいる筈です。